ワーパパ日記

仕事と家庭の両立をよくばる

3.11から10年

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※以前、自分がnoteで書いたものをこっちに転載(+少し修正)してます
(noteの方は削除済)

 


東日本大震災から10年。Twitterでもトレンドになっていて、当時の話や写真、映像もたくさん目にしたここ数日。

 

最も印象的だったのは「忘れないことが支援」と黄色いハンカチに書かれたメッセージ。この10年で結婚して弊娘も生まれた僕に出来ることとして、忘れないこと、当たり前に続いている日々を大切に生きていくこと、それを自分の子供にも伝えていくこと、やっていきたい。大きくなった子供にウザがられたとしても。ご縁があれば孫にも。戦争の話を語り継いだ先人のように。阪神大震災東日本大震災、新型コロナウィルス…考えたくないけど今後も絶対また何か大変なことが起きる。その時にも「家族や友達が無事で本当によかった」と言えますように。何気ない毎日が幸せであることも忘れないように。

 

阪神大震災の時、早朝、物凄い揺れで目が覚めた。当時の僕は小学生で自分の部屋もあったはずだけど、何故かその日は父と寝室で床布団で寝てて(母も一緒に3人だったかも)。その時、僕はまだ反抗期にも入ってない年齢だった記憶だけど、父はかなり強く厳しく怖い人で、怒られては泣いてまた怒られてが日常茶飯だった。だから尚更、なぜ父と寝てたのか謎と言うかよく覚えてない。でも記憶違いじゃない理由として、地震が起きて寝室にあった昔ながらのけっこう重いタンスが倒れてきた時、父が咄嗟に腕でタンスを受け支えて助けてくれたのを覚えている。あの時、父がいなかったら僕、怪我してたんじゃないかな。子どもながらに「何で父はこんなに怖く僕のことを怒るんだろう」と思いながらも、あの時のことが父に対しての印象を大きく変えたのは間違いない。まあ、その後、御多分に洩れず反抗期に入るんだけどね。ザ中学デビュー。それはいいとして。

 

東日本大震災の日は、当時の勤め先の出張で名古屋にいた。イベント中だったかな。当時25歳とか。社会人生活にも慣れてきてイケイケで勢いだけで営業職をやっていた頃。まあ、それもいいとして。あの日も、何年かぶりに父から電話がかかってきた。普段から滅多に電話なんてしないからこっちもちょっと恥ずかしくてすぐ切っちゃったけど。あれから僕も親になって、少なからず父親の気持ちが分かるようになった。今となっては、父はここぞという時に動くタイプだったんだなと単純に理解できる。おそらく父の世代ではそれが主流。正しい、正しくないの話ではなくスタイル、スタンスの話。

 

有事を通じて、初めて気づくこともある。人の弱みにつけこみクズな行為をする人もいる。不謹慎なことを言う人もいる。それもスタイル、スタンスと言ったらそうなんだけど、僕の基準としては「自分の子供にしてほしくないことは、誰にもしちゃダメ」だと思っている。故に弊娘が傷つくことは絶対したくないし、されたくない。勿論、同じような気持ちを誰もが皆、自分の子供に対して抱いてないことは知っている。残念ながら。でも性善説を信じるなら、誰に対しても優しくなれるはず。基本的には信じたい。そして優しくありたい。

 

Outro

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