ワーパパ日記

仕事と家庭の両立をよくばる

母が亡くなった(2日目)

母が亡くなって最初の夜、何とか眠りにつけたが2時間後に父のうなされ声で飛び起きる。すごい汗でタオルと冷たいお茶を渡す。状況を思い出すと同時に次の最悪が頭をよぎる。昼間にこぼした「どうすればええんや」「何で母さんが死ぬねん」「母さんがおらんと何も楽しくない」等の言葉がフラッシュバック。こちらもまた動悸が乱れる。母を亡くして僕も勿論人生で一番辛いが、それでも今後一緒に子ども達がいる、妻ちゃんがいる、父もいる。父は僕より辛いはずだ。僕がしっかりしないといけない。父がこれまでそうしてきてくれたように。


もう会えない、もう話せない、FaceTimeもできない、LINEのアカウントも二度と反応してくれない、日々のルーティンの一部になっていた子ども達の可愛い写真も送れない、子ども達の成長を見せられない、もう二度と子ども達と遊んでもらえない、今更もっとやっとけばよかったを言ってもキリがないし仕方ないけど。


実家で僕が生まれてから今の娘くらいまでの年齢のアルバムを見た。写真と母の手書きコメントの数々を見てまた泣いた。我ながら今の息子くらいの年頃まではともかく、それ以降はうちの子ども達と比べて憎たらしい顔をしていて全然可愛くない。うちの子達が可愛すぎるのか?正直、僕ってこんなに可愛くなかったのかとショック。しかし一緒に写る母はどれも幸せそうな顔で、写真横の手書きコメントも含めて明らかに可愛がってくれていた、確実に愛されていた事が分かる。世間的にも男の一人っ子は母から最も愛されるとも聞くし。


母に愛されて、大切に育ててもらった人生。受け続けた愛を忘れず、次は僕が子ども達にそれを受け継いでいかないといけない。形や種類+時代は違えど母と父のように、僕も妻ちゃんと一緒に。


現在、娘6歳、息子2歳。願いではなく望みとしては子ども達に、母の事を忘れないでいてほしい。そんなに頻繁に会えていたわけじゃないけど生まれてからの写真も桁違いに多く(iPhone写真)印刷して作った孫の簡易アルバムは僕のアルバムよりも多かった。母の携帯の中の写真も9割が娘と息子の写真で埋まっていたし、実家のどの部屋にも孫の写真と娘の絵を飾っていた。パスワードの一つは娘の誕生日だった。間違いなく母の最近の人生において大きな愉しみの一つが孫の成長だった。大大大好きで、愛してくれていた。天国からも愛してくれている、見守ってくれている、またいつか遊んでくれる、その事を出来ればうちの子達には覚えていてほしい。


定期的に泣くと気持ちはしばらくスッキリするけど胸の辛さは全然取れないな…。信じられない辛さが途方もなく続きそうだが、神や宗教などを信じて心の拠り所を埋める事はせず今後は天国の母にだけ祈りを捧げます。